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倒れた自分を誰かが起こしてくれる保証はない。やまもといちろう特別寄稿

2017.03.13

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Work switch編集部です。これから3回にわたり、「30代はどう生きるべきか」というテーマでの短期集中連載をお届けいたします。第1回となる今回は、投資家・作家やまもといちろう氏の特別寄稿です。

あらゆる局面で衰退が予測される日本。たとえば2025年には団塊の世代が後期高齢者に(75歳以上)に達し、介護・医療費など社会保障費負担の急増が懸念されます。2025年に日本を支えていくのは、現在の30代・40代です。Work switchの主要な読者層でもあるこの年代は今後、どう生きていくべきなのでしょうか?やまもと氏の見解をご覧ください。

<短期集中連載目次>
第一回:「倒れた自分を誰かが起こしてくれる保証はない」やまもといちろう氏特別寄稿
第二回:「やれ、と言われたことだけやるリスク」は誰も教えてくれない。たられば特別寄稿
第三回:「会社のために頑張るな。自分のことをやれ」田中泰延特別寄稿

●やまもといちろう氏プロフィール
個人投資家、作家。1973年東京都生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒。IT技術関連のコンサルティングや知的財産権管理、コンテンツの企画・制作に携わる一方、高齢社会研究や時事問題の状況調査も。「ネットビジネスの終わり(Voice select)」、「情報革命バブルの崩壊 (文春新書)」など著書多数。

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■価値観の激しい対立に戸惑い、黙り込む若者たち

先日、中日新聞において上野千鶴子女史が「平等に貧しくなろう」「日本の人口減少と衰退は仕方がない。受け入れて、ありのまま生きよう」と論じたところ、「フェミニズムの最前線でリベラルを引っ張ってきた人が、理想を捨てて現実に迎合するのか」的な批判を受けてしまうという現象がありました。

とはいえ、現実にいまを暮らし、日々を生きている私たちにとって、別に金があろうがなかろうが、目の前の事実は事実であって。高齢化社会による負担増、暮らしが決して劇的に良くなることは無い状況の中で、結婚し、子供を生み育て、親の介護をし、税金や社会保障費を納めて自分自身も健康に留意するという、全方位の品行方正を求められているのが現代です。「楽しみや遊びのない人生」と言われればそれまでですが、言われるほどゆとりも潤いも感じずに幼少期を過ごしたいまの若い人たちが、社会に対して一種の諦観を持っていると言われるのも分かる気がします。

先日、大学の調査事業で東北地方に学生を率いて現地で働く人たちにヒヤリングをするというフィールドワークの付き添いがあり、てれてれと電車に乗り修学旅行のような日程を送っておりました。これはこれで私自身は嫌いではありません。缶ビールを飲みながら成人になりたての子たちと現状や社会や未来について語り合うというのは、とても興味深いものです。

ただ、学生の中にはあまり集団行動が好きではない人や、特定のゼミから別のゼミに移ろうと画策して失敗した学生が仲間から孤立したり、就職に失敗したゼミ生が「自主留年」してゼミに居座って先輩面を台風のごとく吹かせて烈火のごとく嫌われていたりと、若くても若いなりに人間関係のむつかしさみたいなものをひしひしと感じながら現地に行ったわけです。

現地の人たちも、最初こそ東京からわざわざ若い人が来ることにちょっとした歓迎モードだったのが、二日目ぐらいからは「田舎で厳しい暮らしを送る高齢労働者」と「いろんな地方から期待されて集まってきた東京の若い大学生」との間で話が成立しない状況が顕著になっていきます。最終日には、東日本大震災で被災経験のある家族が調査対象に混ざり、いまの日本の在り方について熱く語られる“事件”があり、普段そういう「人と価値観について激しく論争する」という経験の乏しい若者たちはショックを受けて黙り込んだりしてしまうことになります。

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■30代は「内なる資産」をもつ世代

そこで出てくるのが、引率した30代の研究者や留学経験ある若者たちです。言葉のはしはしに戸惑いや躊躇もあるものの、「自分の意見を整理して先方にぶつける」という基本動作が身についている年代はそう簡単には折れません。「被災して苦労した経験は分かるが、いつまでも暗い見通しの中で立ち止まって『政府が悪い』『社会が悪い』『日本が悪い』と他人の責任にするよりは、自分の力で立ち上がる努力を払うべきだ」と主張するのです。

30代40代の働き盛りから結婚・子育てと介護に突入する世代は、(被災者のような)誰かが不幸である、厳しい状況にあることに対し同情したり「悲しい」「どうにかしてあげたい」という気持ちは持っています。一方で、自分たちも自分たちなりに考えて研鑽したり努力して仕事を得て、稼ぎの中で家族を養い、見通しが暗くとも頑張って前を向こうとしている世代でもあるわけです。

被災地から自主避難してきた人たちの暮らしぶりが良くないのは分かるし、同情もする。だけど、こういうところできちんと自分の意見を述べられるのか、相手が必ずしも心地よくないことでもしっかりと立場を踏まえて適切な言葉遣いで伝えられるのかは、とても大事なスキルなのです。

この辺は、やはり企業勤めや大学内でのあれやこれやを経て、人間成りの成熟があって初めて培える「内なる資産」であるし、日々自分の生き方や今後を考えていなければ、とっさにはなかなか出てこないものでもありましょう。この被災者とのやりとりにおいては、身も蓋もない言い方をすれば「あなたがたも苦しいかもしれないが、私たちだって十分に苦しい。不満の中でやりくりして生きている」という、正しい闘争の在り方を認識しているのかどうかです。

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■倒れている自分を誰かが起こしてくれる保証はない

社会批評の中では、よく「社会が分断される」という標語のもとに相対的貧困や社会の衰退といったワードが頻出します。例えば子供の貧困ひとつとっても、ケアがうまくいかなければ「教育されない子供たちが、愛情のない家庭で孤立して暮らす」ことになるわけです。そうなれば、必然的に少子化以上のマイナスのインパクトを将来の日本社会に与えることは分かっています。

でも、そのポジションにいる人たちが、「保育園落ちた、日本死ね」とかワープア哀歌的な自己憐憫の果てに「政府が悪い、社会が悪い、日本が悪い」と言い募って、他人に責任を押し付けたところで、倒れている自分の人生を誰かが起こしてくれる保証はないのです。手を取り合って支え合い、前向きに、生産的な活動につなげていくかをきちんと考えていかなければなりません。そういう「つなげていく」ロジックを考えるための研究であり、勉強であり、教育なのだと私は感じるのです。

いみじくも20代の大学生たちと、50代から80代の高齢労働者たちを立派につないで、お互いの立場を論じた30代、40代の社会人大学院生や研究者たちの姿を見て、私も気づくわけです。「ああ、真ん中の世代が上の世代にも、下の世代にもしっかりと目くばせをして、どういう社会の方向付けをするか考えなければ日本は良くならないのだ」と。

どこかに迎合しているわけではなく、何かに依存しているわけでもない30代が考えることこそ、人口や経済が下り坂の日本において実は重要な置石の役割を果たしているのでしょう。つまりは、すべての日本人の集団において「つなぎ役」を自然と果たしているということになります。

そういう人間同士の絆の中で紡ぎ出される価値もさることながら、これからの日本社会において子供を生み、育みながらどのような教育を施すことができるのかは、まさにこれからの育児世代の双肩にかかっています。今年44歳になった私自身も、3人の子供の教育や高齢と病気の後遺症に悩む親の介護には頭を悩ませながら日々を送っていますが、私よりも厳しい経済環境で社会の中心に来るだろうこれからの30代がどう考えるのか、どんな社会を作るのかで、かなりのものが決まってくるのでしょう。

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■つまり、必死に生きればいい

自分の30代を振り返ると、いったい私は何をしていたのだろうと自問自答の挙句に反省して身悶えするような後悔をしないわけでもありません。が、私も私なりに頑張って生きてきました。頑張った結果が、私のいまの人生のありようと、尽くすに値する幸せな家庭として結実していると思っています。

私と同じようにいまの30代が暮らす必要もなければ、私を真似る必要などどこにもありませんが、上野千鶴子女史の語るような「妄想は捨てて、現実に向き合う」とか「どう犠牲者を出さずに軟着陸するか」はとても大切なテーマです。20代はいろんなことに挑戦することが許される年代でした。そして30代で現実にしっかりと向き合い、社会や人生における世代としての自分の役割を認識したとき、社会にとって軟着陸するための重要なつなぎ役として重責を果たしてくれることでしょう。

むつかしいことを書いているようですが、つまりは必死に生きれば良いのです。人生に真面目に取り組んで、いろんなことを悩み、自分なりに決断し、一つひとつ向き合って納得して行動し、前に進んでいく。仕事面は、それはそれは今後は大変ですよ。生活を維持するために夫婦で働かなければならない家庭も多いでしょう。政府が『ライフワークバランス』といったって、目の前の現実は異なります。いきなりは、劇的に良くなることは無いわけですから。

ただ、改善のアクセルがちょっとずつでも踏めることが大事です。いま以上に、真面目に丁寧に暮らしていくことが求められているのでしょう。たまに人生の喜びがある、友との語らいがある、気晴らしの趣味がある、介護している親と昔話で笑い合う、子供を連れてどこかに行く、子供が寝た後に夫婦で杯を傾ける……これから肉体的にも精神的にも成熟していく30代が培うことは、この「人生を実感する」「人生と向き合う」ことにほかなりません。

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■自分の中にどんな価値を培うか

やはり、子供を育てていて「ああ、自分もガキのころ親にせがんでこういうところに連れて行ってもらったな」という二回目の人生を追憶するときがあります。好きだった電車模型、楽しかった家族旅行、学校で嫌な思いをして泣きながら親に事情を理解してもらいたかったこと、大好きで没頭した作品を褒めてもらって満足して次はもっとうまくやってやろうと決意したこと……そういう世代を超えた人のつながりの中心にあって、まだ可能性を残し、円熟していく30代が人生としっかりと向き合えたとき、この国は単なる衰退という話ではなく、幸せや充足感を伴った縮小・撤退戦にできるのではないかと思います。

子供がいなければいないで、社会にとって仕事で、地域で、趣味で、取り組むべき価値のあるものを見つけて人生を燃やせばよいのです。貪欲に、よりよく生きるとはどういうことか、人生と向き合うことができれば、必ず解は見つかるでしょう。

そりゃあ、貧しくはなりますよ。そんなにバラ色の展望など空から降ってくることなどない。でも、一人ひとりの生き方や人生が充実することが、衰退を超えて大事なものを生命として吹き込んでくれるのでしょう。震災も、原発事故も、高齢社会も、財政危機も、つまりは「正しく怖れる」こと、そして「自分の中にどんな価値を培うか」が、先の見えないくらい社会を照らす灯火になるのだと信じています。

<了>

<短期集中連載目次>
第一回:「倒れた自分を誰かが起こしてくれる保証はない」やまもといちろう氏特別寄稿
第二回:「やれ、と言われたことだけやるリスク」は誰も教えてくれない。たられば特別寄稿
第三回:「会社のために頑張るな。自分のことをやれ」田中泰延特別寄稿

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