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「自分の登る山を見つける」ピエール中野のキャリア構築論

2017.03.09

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“カリスマにはなりたくないんです。いつまでも、Twitterで欅坂46の話をしていたいんですよ(笑)。”

男性ドラマーとしてはYOSHIKI氏に次ぐTwitterフォロワー数22万を誇り、音楽業界にとどまらない圧倒的な影響力を持つ存在となった、ロックバンド【凛として時雨】のドラマー、ピエール中野氏。

本業のドラマーとしてはさいたまスーパーアリーナや日本武道館などのステージに立ち、『リズム&ドラムマガジン』の表紙を何度も飾るなど名実ともに日本有数の存在に。一方、ドラム以外の分野ではDJ、コラムニスト、アイドルヲタなど様々な顔を持つ多才な人物でもあります。

凛として時雨というバンド自体も極めてシリアスな音像を持つ、音楽シーンの中でも異色なバンドです。そのバンド内においても一味違う、枠組みに囚われないキャラクターをもつ人物。そんなピエール中野さんのキャリア形成には、どんなストーリーがあったのでしょうか? 異能のドラマーのキャリア形成に迫ります。(取材・文 澤山大輔)

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<目次>
■ドラムは、終わりのない最高の趣味
■最高だったドラムオーケストラ
■「ピエール中野」はピエール瀧からではなかった
■自分が登るべき山を探すことにした
■携帯ゲームやるヒマあるなら、フォローを返す
■「ピエール中野なら、しょうがない」を目指す
■キャリアへの提言:直感はだいたい正しい

■ドラムは、終わりのない最高の趣味

――ドラマーとして歩んでいく決意を固めたのは、いつ頃でしょうか?

ピエール中野(以下、中野) 18歳の頃には、進路を決めていました。ドラムで身を立てるか、音楽業界で働きたいと。もちろんプロのミュージシャンになることは甘いものではないとわかっていたので、それ以外の道も模索しつつ。専門学校を選ぶ時にも、学校法人を選択しました。卒業したときに、履歴書に書けるように。

ドラムがダメだったときは『ドラムテック』というドラムの音作りをする仕事に就くとか、楽器販売やドラムメーカーに就職するとか。いろいろな選択肢を考えながら、専門学校ではドラムを専攻しました。その頃は、周辺地域ではそこそこ知られたドラマーになっていたこともあり、専門学校に行くからには、ちゃんとドラムでプロになるという目標を立てていました。

――そもそも論なのですが、どうしてそこまでドラムに惹かれたんですか?

中野 一言でいうと、『どこまでも追求できる最高の趣味だから』ですね。終わりが無いんです。材質一つとっても木材か金属かで音が違うし、スティックの長さや細さによっても、野外で叩くか屋内かでも違います。ライブ会場であっても、フロアにオーディエンスが入っている状態とそうでない時でも、ハコの広さやそのハコが持っている歴史や感覚によっても変わる。

極端な話、同じ音は二度と出ないんです。しかも、ドラムは電気を通さなくても大きな音がちゃんと出る、最も原始的な楽器です。そこが魅力ですね。

――最初に手に取った楽器はギターだと伺いましたが、それがドラムに変わるきっかけは何でしたか?

中野 中学3年生のとき、X JAPANの『破滅に向かって』というライブビデオを見たことです。YOSHIKIさんのドラムソロを見て「ドラムって主役として見られる楽器なんだ、こんなにカッコいいんだ!」と衝撃を受けました。それが直接のきっかけですね。

加えて、周囲にも恵まれていました。当時、先輩にとてもうまい人が多くて、今のプロを見渡しても、決して引けを取らないスーパープレイをする人ばかりでした。文化祭なりに出ると、完全にオーディエンスを掌握するんですよ。

――学生なのに!

中野 僕が所属する凛として時雨でも、ライブハウスの全員が息を呑むような瞬間、拍手をするのもためらうような切迫した空気感があります。そういうプレイをする人たちを見てきたので、やるからには彼らに追いつきたいと。

――彼らから、どんなアドバイスを受けたんですか?

中野 「対バン(同じライブに出ること)をするドラマー全員から『すごい』と言われるレベルになれ」と。そのレベルになるため、徹底的に練習しました。ドリームシアターやSIAM SHADE、もちろんX JAPANやLUNA SEAのコピーもやりましたし、多いときで10バンド近く掛け持ちしましたよ。

――10バンド近くも!

中野 当時はドラマーが不足していたので、サポートドラマーとしていろいろなバンドに入ったんです。サポートメンバーだとリハーサルのスタジオ代を払わなくてよかったりと(笑)、経済的な面でも良かったんです。自己練もみっちりやって、いろんなバンドの本番に出て、さらにスクールにも通うという日常でした。

――とてつもない練習量ですね。1日のあいだ、どれぐらい練習していたんですか?

中野 11~12時間は超えていましたね。起きてから寝るまで、ドラムばかりでした。朝練で基礎を1時間やって、通学中はウォークマン聴きながらイメトレ、授業中は足置きで足の上下運動をして(笑)、放課後は部室のドラムセットを叩いて、バンドメンバーとセッションして、そのままレッスンに行って。

当時、YOSHIKIさんがインタビューで「週5で1日5~6時間やっていた」と言っておられたので、絶対にそれ以上練習しようと思ったんです。当時の記事は切り抜いてファイリングして、今でも実家にスクラップしていますよ。早くシンコーミュージックさんなりリットーミュージックさんなり、記事をデータ化して配信してほしいです(笑)。

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■ドラムを選んで後悔したことはない

――ドラマーの道を選択して、後悔したことはありますか?

中野 いやあ、ないですね。「リハーサルスタジオで、自分の楽器が使えないのはイヤだな」ぐらい(笑)。持ち運びが大変なので、ありもののドラムセットを叩きやすいセッティングにする必要があります。今は違いますけど、昔はライブハウスでもそうでした。でも、それぐらいですよ。トレーニングやレッスンについて、苦と思ったことは一度もないですね。

――かみじょうちひろさん(9mm Parabellum Bullet)が中野さんを称して「ドラムのために生まれてきた、と名乗る資格がある」と賞賛されていましたが、まさにその通りですね。

中野 だいぶ昔の取材記事です(笑)。よく覚えていますね。

――すごく印象的だったので。ドラマーのキャリアとして、ソロ/凛として時雨それぞれで最も印象に残っていることを教えてください。

中野 ソロとしてはやっぱり『Chaotic Vibes Orchestra』でドラムオーケストラを実現できたことですね。僕のソロプロジェクトで、本当にいろいろな人に協力していただきました。自分のキャリアの中では、あれがダントツです。

羽田にある日本一大きなリハーサルスタジオを借りて、レコーディング機材を持ち込んで、トータルプロデュースを作曲家の岩崎太整さん(映画「SR サイタマノラッパー」「モテキ」劇伴担当)にお願いして。淳士さん(SIAM SHADE)、櫻井誠さん(Dragon Ash)、青山英樹さん(BABYMETAL“神バンド”)、残念ながら亡くなってしまいましたがシンガーのORIGAさんなどそうそうたるメンバーを迎えました。

――よくスケジュールが合ったなという大物ばかりですね。

中野 淳士さんは九州ツアー中、櫻井さんも青山くんももちろん他の皆さんもすごく忙しいスケジュールを縫って駆けつけてくれて。ドラマー人生に残る出来事でした。

凛として時雨としては、やっぱりさいたまスーパーアリーナでライブできたことですね。時雨の地元なので、友だちもたくさん来てくれて、喜んでくれました。武道館など他の会場も印象深いんですけど、MCでもずっと「埼玉県から来ました」と言い続けていたので感慨深かったです。

ただ、意外と「でかいな!」って感覚はないんですよ。最後にそう思ったのは、閉鎖しましたがSHIBUYA-AXで演奏した時ぐらいです。時雨はステージでメンバー間の距離を一定にしているので、あまり違和感を覚えにくいのかもしれません。

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■「ピエール中野」はピエール瀧からではなかった

――ピエール瀧(電気グルーヴ)さんをリスペクトされておられますが、ピエール中野という芸名はご自身で付けられたんですか?

中野 芸名については違うんですよ、メンバーのTK(Vo./Gt)からの提案なんです。

――ええええ、TKさんの!

中野 2002年くらい、新しいドラマーとして加入したときの話です。メンバーがTK、345(みよこ、Bass)で僕だけ中野正敏じゃ逆にヘンだと(笑)。僕は練習中にスティックをくるくる回すタイプなんで、それを見ていたTKが「ピエロみたいだね、じゃあピエール中野にしよう」ってなったんです。

――意外すぎました。てっきり、ピエール瀧さんからの由来だとばかり。

中野 TKは天才なんですよ(笑)。命名の経緯について、いろいろな人から「ピエール瀧さんからでしょ?」って聞かれるし、実際電気グルーヴの大ファンで、ピエール瀧さんをとても尊敬していますからそのままにしていますが、命名の経緯としてはTKが発祥なんです。

――それで、ピエール瀧さんに実際にお会いになったときに盛大にいじられたとか。

中野 『全国コール選手権』というイベントに瀧さんが出演されていたので、観覧でお邪魔したんです。それで収録の合間に「ピエール中野って言います、今度フェスで一緒に出演させていただきます」ってあいさつしたら、「おおマジか、もうお前が本家でいいよ。その代わり、餓死しろ!」って言われて。

――餓死しろ(笑)。

中野 その場では「はい、頑張ります!」って返事して。それから2年後に別の場所でお会いしたら「お前何まだのうのうと生きてるの?」「すいません」ってやり取りをしました。その後、僕自身の知名度も上がったからか、ライブでもいじられるようになったんですよ。石野卓球さんに「もはやピエールって言えば中野だからな」とか。
 
でも、その後に会ったら「お前さ、偽物の自覚忘れてないか?」って言われたり。「あれ、本家でいいんじゃなかったっけ」と思いながら謝ったり(笑)。連絡先も交換させていただいて、本当に良くしていただいてます。言葉だけだときつく感じるかもしれませんが、実際は凄く優しくしてくれます。まあ、卓球さんに初めて挨拶したときは「あれ、顔違くない? 吉田豪みたいな顔だと思ったよ」って言われましたけど。

――何から何まで最高ですね(笑)。

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■自分が登るべき山を探すことにした

――ここまでご自身のキャリアを振り返って、どう感じていますか?

中野 思っていたよりは順調だなと。幸せですよね、バンドもバンド以外の活動も、好きな事をしっかりと続けられて。バンドマンとして「求められる人でありたい」と常に思っていて、今のところそれは続けられているので。

――ロールモデルになっているのは、やはりYOSHIKIさんですか?

中野 そうですね、YOSHIKIさん、真矢さん、淳士さん……目標となるドラマーの方々はたくさんいました。もっと上の世代にも、海外にもたくさんいます。ただ「彼らがやらないことをやろう」とずっと思っていましたね。同じプレイをしても、「じゃあその人でいい」ってなるわけですから。

自分の登るべき山を見つけることだと思うんです。その山を探した結果が、今なんです。「あの人の手数、この人の足技が組み合わさったらカッコいい」「ドラマーでMCをやるバンドは少ない、じゃあオレがやろう」「前に出ていくドラマーなんていないよな」とか。

――「YOSHIKIさんや真矢さんになりたい」ではなく。

中野 ではなく。彼らになれるわけがないですし、もちろん超えることも一生できません。じゃあどうするってなったとき、自分が登るべき山を探すことにしたんです。

――そういう意味では、常に安住が許されないですね。

中野 実際、安住できる職業ではないですから。それこそ交通事故なりアクシデントがあれば、ドラムは叩けなくなるわけで。自営業ですから退職金もないですし、その辺の不安はやっぱりありますよ。他のミュージシャンのインタビューを読んでいても、精神的に不安定になりやすい職業ではあります。病気になって辞めていく人もいっぱいいます。ふとしたときに「死ね」って声が聞こえるとか、急激に人気が上昇しているときこそ人間不信になりやすかったり。

――椎名林檎さんも若い頃、ある媒体でインタビュー中に号泣してしばらく中断ということがありましたね。

中野 僕はそういう部分(リスクヘッジ)もかねてSNSを積極的にやっている部分もありますね。

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■携帯ゲームやるヒマあるなら、フォローを返す

――SNSのお話が出たので伺います。ピエール中野さんといえば、22万フォロワーという驚異的なTwitterフォロワー数の多さも強みだと思います。このフォロワー数は、どんなペースで達成していったんですか?
 
中野 そうですね、何か特別なことをして増えたわけではないですよ。順調に増え続けてきた、という印象です。フォロワーが比較的少なかった頃はネタツイートをしたり、流行りモノに乗っかったりしていました。最近は、控えめにしていますけど。


――正直、一般人からすると22万フォロワーという数字は半端じゃないプレッシャーがあるんだと思いますが、中野さんは日々フラットな状態でSNSを活用されていると感じます。精神の均衡を保つうえで、何かコツはありますか?

中野 うーん、どうでしょうね。俯瞰で自分の立ち位置を把握する事と、夜飲みに行くことじゃないですか?(笑) 

――(笑)飲みに行くことで、あまりネットのことを考えなくなると。

中野 今でも「あ、これ書いたら炎上するかもな」と思ったりしますよ。実際、燃えはじめて「わー、消そう!」みたいなこともあったり。ただ、フラットに使えているように見えるとしたら、やってきたことが成果に結びついてきているからに尽きる気がします。

――その感覚を“自信”と表現するとしたら、いつ頃から“自信”を持てましたか?

中野 そうですね、ここ2~3年ぐらいじゃないですかね。「これをやりたい」と思って意見を言えば聞いてくれる人が増えましたし、例えばこのあいだのように動物園に行くことが仕事になったり(笑)、番組MCの仕事をやらせていただいたり。

――とはいえ、そこで鼻が高くなっている感じもしないですね。

中野 ないですね。実際、今はSNSで何かあると袋叩きにあうじゃないですか。「謙虚であらねばいけない」という感覚は身につけている人が多いと思います、特に若い世代は。「調子に乗ってるなって思われることは、よくない」という感覚は周知されている気がしますね。

――実際、それはフォロー返しを14万件以上やるという行為にも表れていますよね。傲慢な人は、そんなこと絶対できない(笑)。

中野 フォロー返しは、ある意味ファンレターを返すような感覚なんですよ。単純に、好きなミュージシャンにフォローされたら嬉しいじゃないですか? 労力なんて大したことないですし。

――とはいえ14万回以上スマホをタップしてるわけで、言うほど簡単なことではないと思います。いま、1日どれぐらいフォロー数が増えるんですか?

中野 どうでしょう、日によっても違いますしスパムアカウントも多いですが、100~200ぐらいずつでしょうか。だから、やるときはまとめてバーっとフォローを返します。みんな携帯ゲームをやるヒマはあるわけじゃないですか? 僕は携帯ゲームをやらないので、その時間をフォロー返しに使ってるだけですね。

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■「ピエール中野なら、しょうがない」を目指す

――中野さんは、ドラマーとしてだけでなく番組の司会、コラムニスト、DJなど多彩な顔をお持ちですよね。また、バンドとしても硬質な世界観とは全くキャラの違う非常にゆるいMCを担当しておられます。当初、ゆるいMCに対して反発はありましたか?

中野 ありましたね、やっぱり。「ストイックなライブ見たいのに、なんであいつ邪魔すんの」「何面白くしちゃってんの、いらねえんだよそういうの」「そもそも面白くないんだよ」みたいな反応が。実際、時雨の世界観とは全然違うものですし。

――でも、もともとピエールさんではなくメンバーのTKさん発案なんですよね。

中野 そうそう、TKから「MCそろそろやろうよ」って無茶振りを受けて(笑)。それでやってみたら受けたので、継続していくことになりました。確か2005年の下北沢Club Queでライブをやったときです。

――いろいろな声があった中でも、MCのスタイルを貫き通したわけですよね。それはどういう理由でしたか?

中野 うーん、やらなくていいならやめますけどね(笑)。MC考えるのって実際、結構大変ですし。喋りたいだけなら、今はトークイベントをやりますし。実際、去年の最後のワンマンではMCをやりませんでした。初期のMCのないスタイルに戻ってもいいかな、と思ってはいますよ。

ただ、反発を受けたときに思ったのは「なんでそんなこと言うの?」でしたけどね(笑)。単純に、喜んでいる人がいるものに対して、そういうふうに感情的な反発をぶつけられることの意味がわからなくて。自分が絶対正しいとは思っていないですし、意見は参考にしますけど、ただの文句でしかないものは気にしないですね。自分にぶつけることでその人のストレスが解消されるならまあいいかな、と思ってます。感謝して欲しいですね(笑)。

――相手の発信よりも、自身の発信にフォーカスしていらっしゃるんですね。

中野 そうですね、「ピエール中野だからしょうがないか」ってなればいいですよね(笑)。やれることも増えますし。ドラム1本に絞らない理由も、そのあたりです。カリスマドラマーみたいに神格化されるのはイヤですから。「え、ピエール中野がDJやるの?」みたいな感じになるのはイヤなんです。カリスマにはなりたくないんです。いつまでも、Twitterで欅坂46の話をしていたいんですよ(笑)。あいつならしょうがないって言われたい。

――先ほど仰った、「自分の登る山」を見つけたのですね。

中野 しかも、仕方なくじゃなくて、狙ってそこにいるわけです。自分にできることは限られていますから、それを最大限実現できそうな場所にいたいですね。そういう姿勢は後の世代にも役立ててほしいし、育てていきたい。「こういうキャリアの築き方もあるんだよ」と。

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■キャリアへの提言:直感はだいたい正しい

――今後、どんなことにチャレンジして行きたいですか?

中野 単純に、もっといろいろなミュージシャンと演奏したいですね。今でもありがたいことに多くのミュージシャンとセッションしたり、レコーディングに参加させていただいています。でも、まだまだ一緒に音を出したことのない人、憧れている人たちがいます。そういう人たちと一緒に音を出したい、というのがまず一つ。それから、ドラム教育ですね。

――ドラム教育?

中野 そうです、自分ができる理想の形をずっと探しています。例えば、ドラム教室って今は通わなきゃいけないでしょう。東京にスクールを開くといっても、地方の人たちはなかなか来られません。そうではない形で、全国の人にドラマーとして影響を与えていきたいんです。ドラム上達のヒントになるような仕組みを全部整えて。まだ構想段階ですけど、いずれやろうと思っています。

――すごい規模の話ですね。

中野 意外とやっている人はいないですし、需要は絶対あると思うんです。実現できたら僕自身にも勉強になる部分が多々あると思います。直接教えるだけではない、もっと大きな規模にドラムを広める方法、上達させる方法を自分は持っています。刺激を与えるという意味で。広く届けるということは、もうずっと考えていますね。

――ノブレス・オブリージュを感じますね。今まで得たものを、世の中に返そうという発想といいますか。

中野 多分、それに近いものはあると思いますね。ドラム教則本もそういう意味はあります。返していかないと、生きている意味は無いと思いますよ。やっぱり、受けた恩は返していかないと全然楽しくないですから。

――ありがとうございます。最後に、このサイトはある程度経験を積んだビジネスパーソンを想定しているのですが、そういう人たちに対してメッセージを頂ければと思います。

中野 直感を大事にすることだと思います。だいたい当たってるんで、その通りに動いたほうがいい。「なんとなく嫌なんだなー」「なんとなく良さそうだなー」って意外と当たってるんですよ。信じて進むべきです。

――同感です。ロジックって、後付けなんですよね。

中野 後付けですね。フィールをロジックで補強していくイメージです。例えば、明らかに「これはないな」ってオファーが届いたりすると、フィールでお断りさせていただくこともあります。逆に、スケジュール的に厳しそうでも「やってみたほうが良さそうだな」と思ったら多少無理してでも受けます。結果、やってよかったと思うことが多いですよ。

この間のBuzz Feedさんの取材もそうでしたね。「これ、どうなるんだ?」と思うような分野違いのオファーを受けて、周囲にとっても初めての経験でした。けど、「絶対受けたほうがいい」と思って受けました。ライターの嘉島唯さんも、すごく優秀な方でしたしね。

――案の定、めちゃくちゃバズりましたね。今回の取材オファーは、あの記事を受けてのものでもあります。今日はありがとうございました!

<了>

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