okinawa_01

なぜ沖縄と埼玉のデュアルライフを始めたのか?実践者が語る、二拠点生活のリアル

2016.05.18

okinawa_01

はじめまして。このたび、WorkSwitchへ寄稿することになりました、遠藤美弥子(みやねえ)です。現在、私は沖縄と埼玉の二拠点生活を送っているのですが、今回はその経緯について書きたいと思います。

沖縄に移住したのが2003年。その頃は某大手旅行会社の専属ツアーコンダクターとして、沖縄県内の離島を含めた観光地をぐるぐるとバスツアーで周遊し、極端なことをいえば4日に1度は「美ら海水族館」や「首里城公園」で観光している、そんな体力勝負な仕事をしていました。ちなみによく質問されるので説明しておくと、ツアーコンダクターとバスガイドの仕事は全く別物になります。

パソコンが苦手だった私は、その後Webの勉強をしてWeb制作会社に就職。当時はコーダーと呼ばれていた現在のフロントエンドエンジニアのような(?)仕事とWebディレクターを経てフリーランス人生に突入。なぜフリーランスになったかといえば、オフィス内で働く仕事があまり向いてなかったこと、そして次のステップに進みたかったこと。実際には黙々とパソコンと格闘するよりは人と接する仕事が好きだったから、それが1番の理由でした。

okinawa_02

趣味でブログを書き続け、転機が訪れたのが2013年3月。Webのおもしろ系コンテンツが好きだったこともあり、一か八かで応募してみた「LIGブログ」のライター募集。そして気づけばその年の6月、Webライターでデビューしていたのです。

miya-nee(みやねえ)のハンドルネームでライターを始めた当初、やりがいを感じるメディアや記名式にこだわり、「このメディアで書きたい」と思えたらライター募集に応募して仕事を受注。記名式にこだわったのは、離れて暮らす埼玉の実家の両親や姉家族、そして友人らに自分の活動の証としてWeb記事を届けたかったから、そんな理由でした。

当時、沖縄発のWebメディアは少なく、主に東京のWebメディアに取材ありきで執筆。自ら写真撮影もしていたので1人で完結できる取材が多く、たまには仲間がほしい、仲間ほしいー!と思いながらときどき東京でもネタを探して取材して。そんな頃、ライターの仕事は取材さえできれば、パソコンとネット環境のある場所でリモートワークが可能なのかなと思い始め、沖縄以外でも取材できたら最高だろうな、と漠然と考えていました。

東京のライターさんに会える機会を探しては、東京のライター事情を聞いてインプット。仕事の受注方法や取材背景、原稿単価や東京のスピード感などローカルの現場感との違いを教えてもらい、逆に私はローカル事情の話をしてギブアンドテイクの情報交換の場に。何はともあれ、ライターの仕事は取材さえ完結できれば、リモートワークが可能!そう確信しました。

二拠点生活を始めたキッカケ

okinawa_03

本格的に二拠点生活に乗り出したのは2016年から。私の場合、ことの始まりはネガティブな理由からでした。2015年10月、父が脳梗塞で倒れて入院し、左半身不随になったのです。既に母を亡くし埼玉で一人暮らしだった父。とうとう埼玉に帰る決意を固めるときが来たのか、そんな思いが頭の中をよぎりました。でも今、私の仕事はほぼ沖縄にあり、東京で新たなライティングの仕事に着手しても貢献できる自信がない。なぜならば、東京には優秀なライターや若手のライターが山ほどいるのだから。

そこで考えたのが、沖縄で一気に取材を遂行し、埼玉に仕事を持ち出して原稿を書くこと。ここは編集部に事情を説明して協力してもらおうと思い立ち、編集長にだけ話をしたり、実はまだ何も説明できてない編集部があったり。この記事を見て「えっ?そうだったの!?」と思われた仕事関係者の皆さま、仕事には穴を開けませんし、信用してない訳でもございません。ただ単に言うタイミングを逃した、そんな感じです、すみません。

2016年に突入してから月に10日間から2週間ほど、表向きは東京行きと見せかけての埼玉滞在。父が退院してからが私自身の本格的な戦いが始まる、そう思いながら4月に晴れて父が退院すると、半身不随だった身体がなんと歩ける状態まで回復。リハビリってすごい、これがリハビリの威力なのか!とリハビリセンターのお医者様や看護師さんに感激したのは言うまでもなく、改めて「親孝行」との言葉がドスンと重くのしかかり、この歳になってようやく心の奥深くに刻まれました。

介護問題と直面し、介護保険のこと、介護に関する複雑な流れや連携作業があること、さまざまな専門の担当者がいることを知りました。現在の父は、階段の上り降りやお風呂以外は割りと1人で何でもこなし、週に3回送迎付きでリハビリ施設へ。訪問介護ヘルパーさんらの協力のもと、たまに介護弁当(?)なるものを注文して、姉と交互に埼玉の実家を巡回中です。笑

この5月からやっと実家での生活が落ち着き始め、埼玉でも仕事を受注できる環境が整いました。丸一日出かけることが可能になった今、東京の案件を少しずつ増やしていき、最終的には東京と沖縄を繋げる裏方的な仕事もできたらいいな、と考える余裕が出てきましたよ、ほっ。親孝行などしながら、埼玉でも無理なくコツコツと活動していきたいところです。

デュアルライフを実践してみた結果

okinawa_04

約半年間、沖縄と埼玉を行き来して感じたのは、SNSやビデオ通話などのツールを駆使すれば、どこにいても打合せに参加できるし、取材のインタビューも可能です。ネット環境さえあればリモートでも実現可能なことが多いなと思ったのと、二拠点で活動する分、人との絡みが必然的に増えてより多くの情報をインプットできること。但し、現地にいる時間が限られるため、動ける仕事の幅を調整する必要とキャパオーバーしないスケジュール管理、そして健康管理には特に気をつけています。

もともと仕事道具はノートパソコンと一眼レフカメラ、あとは充電器やICレコーダーくらい。資料は持ち歩かずにできるだけデータ化して外付けHDDやクラウド上にも保存。たとえパソコンがぶっ壊れようともすぐにデータを取り出せる状態で管理しています。仕事で使用するチャットアプリは、スマホにもダウンロードして手元ですぐ確認できる状態に。緊急時に現地で対応してくれる人材を確保して、仲間に協力を求めていく姿勢も大切なんだなと実感しました。

私の場合、沖縄のアパートと埼玉の実家があるので、かかる費用は飛行機代だけ。あるライターから聞いた話がさらに背中を押してくれました。

「1本の原稿を書くために仕事を受けて現地に行って取材する。交通費が別途かかったとしても交通費より原稿料のほうが高ければ、その仕事は赤字にならない。しかも実績は増えていく」

まさにドツボな話。LCCの参入で沖縄・東京間の飛行機往復チケットが安い今だからこそ、実現可能な時代ともいえます。本音を言えば、飛行機代は会社が持つから東京で取材してみない?と優しい声がかかるのを密かにお待ちしています、編集部の皆さま。

南の島・沖縄でのリゾート感と東京で受ける刺激が上手い具合に交差して、私の性に合ったスタイルみたいです。でも体力は若干消耗しますが。笑

父のド根性と体力の回復力で軽減されている私の介護生活と二拠点生活ですが、将来的に介護問題は誰にでも振りかかる、避けては通れないできごとです。将来のことを視野に入れながら、また急な出張でも慌てないように事前に準備しておいても損はない、とそんな気がしています。

ノートパソコンとネット環境があれば仕事ができる、そんなリモートワークでデュアルライフが実現できる時代が到来しています。だからこそ、インターネットを通じて世の中に役立つ多くのWebコンテンツを届け続けていきたい、そう思いながら沖縄と埼玉を月に1度往復しています。

【文:遠藤美弥子(みやねえ)】

このトピックスをみんなとシェアする
このエントリーをはてなブックマークに追加
okinawa_01

この記事が気に入ったら

Work Switchの最新情報をお届け



Follow on twitter