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医師からコンサルタント、そしてヘルステックベンチャーへ。メドレー 代表取締役医師 豊田剛一郎氏が選んだ、”医療ヘルスケア業界の変革”という未踏の地

2016.06.22

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2015年に厚労省が広範な領域で遠隔診療の活用を認める方針を示したことにより、「ヘルステック元年」とも言われている2016年。国内でも、これまでの医療の常識を覆す”遠隔医療”や”予防医療”を可能とするサービスが続々と誕生しています。

そんな大きなムーブメントの中心にいるのが、株式会社メドレー。医療ヘルスケア分野の課題を解決することを目指し、病気や医薬品、医療機関の情報を網羅したオンライン病気事典「MEDLEY」や、PCやスマホを用いて、予約から診療、決済まで可能となる「CLINICS(クリニクス)」など様々なサービスを提供する会社です。2016年6月には、Facebook Messenger上にて対話形式で、症状から関連性の高い病気や対応する病院を探せる「症状チェッカーbot」や、CLINICSのiOSアプリを立て続けにリリースするなど、医療の新しい形を目指した挑戦を行っています。

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「CLINICS(クリニクス)」

そんなメドレーの躍進を支えているのが、代表取締役医師の豊田 剛一郎氏。じつは彼、医師としてキャリアをスタートさせ、マッキンゼー・アンド・カンパニーでコンサルタントとして1年半ほど働いた後、株式会社メドレーにジョインしているのです。

なぜ医師というキャリアから一転、コンサルタントとして働く道を歩もうと思ったのか。そして、豊田氏が株式会社メドレーにジョインした理由は何か。これまでの道のりから、新しいキャリアの可能性について考えていきたいと思います。

「脳ってすごい!」その好奇心が”医者”の道を目指すきっかけになった

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— 豊田さんは東京大学の医学部を卒業されてますが、小さい頃から医学部に入ろうと思っていたのでしょうか?

豊田:医学部を目指そうと思ったのは、高校生の頃です。高校生の頃に脳の働きや仕組みがわかる本を読んだときに、すごく衝撃を受けて。

“脳”という臓器は現在、2本の手しか扱っていませんが、本来は20本ぐらいの手を扱えるくらいのキャパシティーがあるらしいんですよ。その事実を知ったときに、「人間の体って、こんなに面白いものなのか」と、すごく知的好奇心をくすぐられました。

それから、「脳の研究ができるとなると、医学部なのかな」というような感じで、医学部に入ることを決めました。単純な脳への興味が医学部に入ろうと思ったきっかけです。

— 一般的に「親が医者だから」という理由で医学部を目指す人が多いので、勝手ながら豊田さんも、その理由かと思ってました。

豊田:ただ、振り返ってみると親戚に医者はいるので、医者という職業に対して親近感はあったのかもしれません。少なからず、医学部に進学する意思決定にプラスの影響を与えていたと思います。

医師からコンサルタントの道へ。医療業界を外から見てみたかった

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–医学部を卒業した後は、そのまま脳外科医に?

豊田:医学部を卒業したあとは、初期研修医として2年間、様々な診療科を回りました。多分、2年間で12〜15くらいの診療科を回ったと思うんですけど、学生の頃から持っていた「脳外科医になりたい」という思いに変わりはなかったので、研修期間が終わったら脳外科医になりました。

— 高校の頃からの想いを叶え、脳外科医として働かれてましたが、その後マッキンゼーに行かれてますよね。なぜ、医師からコンサルタントへの道を歩まれたのでしょうか?

豊田:医師として働いていたときに、このままでは日本の医療は崩壊してしまうな、と思ったんです。仕組みとして回っているけれど、これを持続していくのはとても難しい。

— そう思った理由は何でしょうか?

豊田:保険料を支払っているのって、若手の働いている人たちじゃないですか。でも、医療費を使用している6割が65歳以上の高齢者。つまり、医療費を使う人は今後ガンガン増えていくのに、支払う人は減り続けていく。保険料の負担は今後ますます増加していきます。さすがに若い世代は耐え切れないですよね。

あとは医者が足りない状況の中で、医師の自己犠牲によって支えられているという現実です。人員不足を補うため、現場では医者が休日返上して働くことが当たり前になっています。医師当人は当たり前と思っているものの、これではいざ誰かが働けなくなった瞬間、現場が回らなくなってしまう。その現実を知ったとき、「これから、人もお金も足りなくなるのに何でもっと業界の構造が変化し、効率化していく方向に向かわないんだろう?」と思ったんです。

そこで色々な病院の先生に、「日本の医療はこのままでいいんですかね?」って聞いてみると、みんなが「このままじゃ絶対にダメ」と口を揃えます。ただし解決に向けた答えは見つからないままでした。

もともと、アメリカの医療に強い憧れがあったので日本の医療現場を出て、アメリカの医療現場に行きました。ただ、日本の医療の未来のため、医療現場の外の知見を広めていきたいと考えるようになったときに、マッキンゼーで働いている先輩から「マッキンゼーには、医者が結構いるよ」という話を聞いて。

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— それがきっかけとなり、マッキンゼーへ。

豊田:単純にマッキンゼーにも自分に近い人たちがいるのかな、と興味が沸きましたね。ただ興味がある程度だったので、マッキンゼーへ行くかどうかは受かってから考えようと思い、まずは応募したんです。

米国医師免許を取得していたので、最初は10年間くらいアメリカで医者をやり、それから日本に戻ろうと考えていたんですけど、アメリカに行ってから4ヶ月くらいで内定が出て。そのときに初めて、自分はアメリカで医師としてのキャリアを積んでいくのか、マッキンゼーに行って医療現場を離れるのかを本気で悩んだんです。何日間も真剣に悩んで悩んで……最終的にマッキンゼーに行くことを決めました。

— マッキンゼーのどこに一番魅力を感じたんでしょうか?

豊田:自分が本当にやりたいことを考えたときに、アメリカで脳外科医として働くよりも日本の医療業界に携わり変化を起こせるプレイヤーとして働く方が自分に向いていると思ったので、マッキンゼーでコンサルタントとして働く道を選びました。

初めて知った「KPI」という言葉。医療業界の外に出て見えたモノ

— 歴史ある医療業界に変化を起こしていくには、外から見てみた方がいいと。

豊田:そうですね。医療は医者や医療従事者だけが関わるものではありませんから。製薬会社や医療機器メーカー、保険会社、厚生労働省などが複雑に入り組む世界で、医者だけが声をあげても変わっていかない。全ての歯車を上手くかみ合わせることが絶対に必要だと思っていたので、色々なプレイヤーが何を考え、どう動くかは知るべきだと考え、マッキンゼーで医療の現場の外から、医療を見ることにしました。

— 実際に働かれてみて、いかがでしたか?新しい気づきなどありましたか?

豊田:マッキンゼーは自分たちの持っているポテンシャルをいかに最大化して、お客さんに還元するのかと、自分たちのポテンシャルを成長させるためにはどうしたらいいのかを同時に考えている組織だったので、組織マネジメントのノウハウを学ぶことができましたね。あとは「KPI」という言葉を初めて知りました(笑)。

— KPI(笑)

豊田:手術は別物ですが、医者って厳密なスケジュールを立てて仕事を進めていくことがあまりなくて。もちろん、患者さんが回復していくためのスケジュールは組みますが、どちらかというと計画が崩れたときに、どう対応するかを求められるので、スケジューリング能力よりもリスク管理能力の方が求められるんです。

だから、マッキンゼーに行って「KPI」という言葉を初めて聞き、「”Key Performance Indicators”って、なんじゃそりゃ」と。多くのビジネスパーソンにとっては当たり前ともいえる、KPIを設定し、その数値をもとに議論するという行為を初めて体験したときに、改めて医者は特殊な職業だなと思いましたね。

やりたいことはやれるような状況に自分を持っていく、そのための努力を怠らない。”自分らしく働く”ために必要なこととは?

オンライン病気事典「MEDLEY」

オンライン病気事典「MEDLEY」

— その後、なぜメドレーにジョインされた理由は何だったのでしょうか?

豊田:もともと、マッキンゼーは居ても2〜3年くらいかなと思っていました。明確に区切っていたわけではありませんが、2〜3年働けば別のチャンスが巡ってくる。もしくは自分のやりたいことが明確化するだろうなと思っていたんです。そうしたら、マッキンゼーで1年半働いた頃に代表の瀧口から「一緒に働きたい」と誘われました。

思っていた2〜3年より早いタイミングではありましたが、何度も瀧口と話すなかで、企業の代表として医療の課題解決に取り組む道を見出し、マッキンゼーを辞めて株式会社メドレーに入る決断をしました。

— ちなみに代表の瀧口さんとの出会いは、いつだったんでしょうか?

豊田:小学校の塾で出会い、中学校も一緒だったんです。ただ高校以後、ずっと疎遠な関係が続いていました。風の噂で医療系のベンチャーをやっていることは知っていたんですけど、当時ベンチャーと自分は全く関係ない世界だと思って気にせずにいました(笑)。そうしたら、 Facebookが日本でも普及し始めたタイミングで瀧口から久々に「覚えてる?」という感じで連絡が来たんです。

それから、ちょこちょこ飲みながら医者の視点で事業の相談に乗っていて。会話を重ねるうちに、患者の立場と医師の立場で登り方は違うものの、目指す山の頂は同じだと感じることができました。そうして瀧口からの「一緒にやって欲しい」という誘いを受け、メドレーで働くことを決意しました。

— そういった経緯での入社だったんですね。では最後に、ご自身のキャリアを振り返ってみて、自分らしい働き方をするためにどのようなことを心がけてきましたか?

豊田:”やりたいこと”に対しては目を瞑らないようにしてきましたね。例えば、アメリカに行きたいと思ったら、アメリカに行けばいいじゃないですか。でも、多くの人は「大変そう……」といって諦めたり、自分の気持ちに嘘をついたり、自分の心にストッパーをかけてしまう。

その点、自分はそうしたストッパーをかけるよりも、どうやったら実現できるのか、その方法を全力で考えて、やりたいことができるようにする努力をずっとしてきたなと思っています。

結果的にそうした努力を続けていると、自然に実力がついていったり、強みが明確化したりしていく。そうすると、周りも認めてくれますし、人の良さが認められるようになるので仕事の好循環が生まれていくなと働く中で感じています。

今までやってきたことが積み重なり、繋がった結果がMEDLEYの代表というポジションと思っています。

メドレーの代表となり1年半が経ちますが、オンライン病気事典「MEDLEY」では協力してくれる医師が300人を超え、遠隔診療ソリューション「CLINICS(クリニクス)」も順調に導入医療機関数が増えているなど、少しずつ手応えを感じています。さらに、理念や取り組みに共感した優秀な医師やエンジニアが、続々とメドレーに参加してくれることも嬉しいです。こうした強いチームで、さらに価値あるサービスを生み出していきたいですね。

(つづく)

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