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お金かけずの作詞=副業で本業も成長!富士そば会長が語る副業を行うたった1つの理由

2016.10.24

IMG_5043大手不動産会社を起業。一時期、50年前の月給は500万円以上。現在の物価なら数千万円相当の月給である。そうした華々しい世界からある日突然、1杯40円のそば屋を起業し転身…。

月給500万円を稼いでいた時から50年後の現在。そば屋事業を海外展開しつつ、25年前からは「作詞家」としても活動中という。

その人とは、丹道夫氏80歳。首都圏と東南アジアでそば屋事業を行う「名代富士そば」の会長を務める傍ら、作詞家・丹まさとのペンネームを持つ。つんく♂氏の曲に歌詞を付け、五木ひろしにも詞を提供している。

0からの起業と作詞。まったく関連性のないふたつの仕事を、丹氏はなぜ始めたのか。なぜ続けるのか。そしてその意味とは。思い浮かぶ疑問のすべてを丹氏にぶつけてみた。

1960年代に月給500万円!その時に1杯40円の富士そばを創業

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— 丹さんはご出身が愛媛だそうですね。上京なさった理由はなんでしょうか?

丹:商売をするなら東京だと思ったからですね。東京で、栄養学校に通った後に商売を始めました。栄養学校時代の知り合いから誘いがあったんです。「一緒に弁当屋をやらないか。叔父から17万円借りられるから」と。

その17万で4.5坪土地を借りて、バラック小屋を建てて弁当屋を始めました。工場向けの弁当販売をやったんです。毎日朝3時に起きて仕込みをやってました。

— そこから飲食業への第1歩が始まったのですね。弁当屋はどれくらい続けていたのですか?

丹:2年ほどです。その頃には1日600食を製造販売するくらいにまでなってました。弁当屋が軌道に乗ったころ、今度は「不動産屋を始めないか?」という話が転がり込んできたんです。

— 弁当屋につづいて不動産屋も!チャンスを引き寄せる力が丹さんにはあるのでしょうか?

丹:僕には話しやすいのでしょうね(笑)。いろんな話が今も飛び込んできますし。その時私を誘ってくれたのが、とある大手不動産会社の人と友人、私を含めて合計4人で共同創業したんです。かなり儲かってました。

— 当時の日本は、高度成長期ということもあるのでしょうか?

丹:そうですね。1964年から1972年にかけて不動産会社を共同経営してましたから高度成長期にあたります。主な事業は、別荘の販売。日本列島改造論で盛り上がっていた頃、ドンドン別荘が売れだしちゃって(笑)。

友人とはじめた会社が8年後には社員が1000人を超えました。わたしの月給も500万を超えるくらいになってね。2016年の物価で考えると月給数千万でしょうか。

— その絶好調の時期に富士そばを始めたのですか?

丹:その頃、分厚いステーキを毎日食べたり、赤坂の有名高級クラブ・コパカバーナにしょっちゅう通っては当時の価格で3万円を毎晩接待で使っていました。でもある日、金がたくさんある暮らしが嫌になったんです。

それで、電車に乗って東北地方へ旅をして、駅のホームでそばを食べた時、思いついたんです。注文したらそばがすぐ出てくる商売は、みんなが忙しく働いている東京でこそ合うな、と。

— 福島に行って高校入学を決意したように、東北に行くといろいろと転機があるのですね。

丹:確かに不思議な縁かもしれません(笑)。ただそれだけではなく、当時の日本列島改造論という波はすぐ終わるだろうと感じていたんです。いつかは全てダメになる、と。

そこで、会社の仲間が食っていけるだけの商売を仕込んでおくべきと思って富士そば1号店を1968年に渋谷へ出したんです。そういう絶頂のときこそ次の手を打たないと、と思ったわけです。本業の不動産業は部下たちに任せていました。それで空いた時間に、新宿と池袋、西荻窪と渋谷を合わせて合計4店の富士そばを出店しました。

— 空いた時間に富士そば…。副業的な雰囲気があります。

丹:次のことを考えていくのは働き方を考えるときに重要です。裕福になると、共同経営者と考え方の違いも生まれてその不動産会社をやめました。それで、富士そば事業を譲り受けて独立したわけです。

それまでは、1ヶ月の売上が30億。利益は7億。そういう状態は続かないだろうということで、1杯40円のそば屋に注力したんです。

— 1ヶ月30億円の仕事から、1杯40円の仕事へ転身とはすごい変化です!

丹:驚きますよね(笑)。いろんな仕事をしてきたけれども、このあとの人生はそば屋の仕事に捧げようと思いました。そば屋という仕事を信じてその後50年、富士そばを続けて来ました。

お金はかからない。空き時間にできる。だから作詞家も始めた

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— 富士そばの経営者であると同時に、丹さんには作詞家というもうひとつの顔がありますね。

丹:作詞は、始めるのにお金が要らないんです。ペンと紙だけがあればいい。だから、作詞家としての仕事を僕は選びました。

本業の富士そばを拡大するにはとにかく金がかかる。新しい店舗をひとつ出店するのに数千万円は必要です。

でも、当時の銀行は立ち食いそば屋に金を貸してはくれませんでした。1960年代は立ち食いそば屋というのはとても不安定なものでしたから(笑)。とにかく辛抱して、金をためて出店を続けていかないと売上が伸びない。

だから、お金が必要な副業はできません。

あと、作詞は本業のすきま時間にできる点もよかった。新規出店の物件探しで電車移動の途中に、鉛筆と紙で詩を書いていたんです。

— いつ頃から作詞をなさっていたんですか?

丹:55歳になったときですね。17歳の頃、四国で丁稚奉公をしていたときにラジオからいい演歌が流れて来て「こういう詞を書きたい」と思っていたんです。でも東京に出てきてからは、弁当屋や不動産会社、そして富士そばの経営と、忙しい毎日を送る中で作詞をやりたくてもできなかった。そういう心残りがずっとあったんです。

— そうして作詞を始められたわけですね?

丹:富士そばの店舗数が目標の80%を達成するまでは富士そばの経営だけに集中しよう。でも、当時の目標店舗数60店の80%、すなわち48店舗を達成したら作詞に取り組もうと思っていました。

富士そばが48店舗まで拡大した55歳のときに早速、六本木にある作詞学校に通い始めたんです。

— そこから現在に至る作詞家・丹まさととしての活動が始まったわけですね。

丹:この20数年で、つんく♂さんが作曲した曲に詞をつけました。天童よしみさんにも詞を提供しています。2016年の10月7日にレコーディングする新曲「母の愛」がもうすぐリリースされます。これはド演歌ではないけどね。

副業の作詞家を始めるため本業をさらに頑張れた!副業をやるべき理由

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— 作詞業をはじめても、富士そば事業はずっと続けてらっしゃいますね?

丹:漫画家でエッセイストの東海林さだおさんとの対談で、東海林さんから言われたのが「社員・パート・アルバイトみんなの生活がかかっているのに「作詞をやりたい」なんてことを言ってていいのか?」ということでした。そこで、富士そば事業を広げていこうという思いが逆に強まったんです。

— 本業をさらに頑張ろうとなさったわけですね?

丹:そうそう。東海林さんとの対談以降は、オファーがあったときだけ作詞をしています。だから普段は本業の富士そばに集中。逆に、移動中とかスキマ時間はみんな作詞にあてています。電車で生まれた詞を天童よしみさんが歌っている、というわけ(笑)。

— そうだったのですね。本業と副業の両立で心がけてきたことはありますか?

丹:本業を主にすること。そば屋が70。作詞は30と心がけています。

— 70対30には意味があるのですね?

丹:本業ばっかりでは人間つまんないですよ(笑)。本業を愛して大好きでやり始めた人もいるでしょう。それはそれですばらしいと思います。でも、偶然本業に突き当たって「これしかない!」と思ってやってきた人もたくさんいるはずなんです。

多くの人は心の中で「好きなことをやりたい」と感じているでしょう。趣味として好きなことをやるという方法もある。けれど、好きなことを副業としてでもやってみたほうがいい。

そうして好きなことを副業として取り組んでいくと「自分らしく働く」ことに繋がる。人生にハリが出てきて本業を、もっと頑張れるようになるのです。副業をやる理由はこの1点ですね。

毎日頑張って働く皆さんへの小さなプレゼント。それが富士そばと作詞の共通点

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— 丹会長が、「30」を注ぎ込んだ作詞で伝えたかった事は何ですか?

丹:毎日の仕事でつらい思いをしている人たちに優しい気持ちを与えたかった。富士そばで食事をする人の多くは贅沢ができないのかもしれない。金が有り余っていて、富士そばに来る訳ではないから。

富士そばの新橋のお店で先日、こういう話があったそうです。

富士そばに新入社員っぽい男性が入ってきて、女の先輩がこういったそうです。「キミの東京生活はまず富士そばから。富士そばの食べ方を教えてあげるよ」って(笑)、上京直後でお金がない彼に。

そういうシーンで、演歌が流れていると優しい気持ちになれると思うんです。

— 苦労している頃、聞いている音楽は確かに耳に残ります。

丹:働いてる人はみんな苦しい。あえて口にしないだけ。だから、小さな幸せを僕はみんなに贈りたいと考えています。

— 富士そばも作詞も働く人たちへの小さなプレゼントなんですね。

丹:はい。どちらも小さなプレゼントです。やっぱり、苦労した人は身に染みてわかるらしいですよ。「今日、寝るところはどうしようか」という人も、富士そばを食べて、店内で演歌を聞くと小さな幸せが得られるんです。体にはそばが、心には演歌が効くんでしょうね。

— そんな丹会長が今夢中なことは何ですか?

丹:ゴルフ。80歳になって、コツが最近ようやくわかって(笑)。ゴルフ雑誌に載っていたスイングのプロセス写真を切り取って、それでイメージトレーニングをしたんですよ。そうして、ゴルフの打ちっぱなしに1年以上行ってついに飛距離が200ヤードを超えるようになったの。粘り強く繰り返す事が大事だということ。

— それは、丹会長のこれまでのお仕事と共通してるのかもしれませんね。

丹:そうそう(笑)。粘り強く努力を続ければ、自分の道が開けるはずです。

— 私も30パーセントを本業とは別のことに使いつつ、粘り強く努力を続けていこうと思いました。本日はありがとうございました!

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